自然と動物を考える市民会議のあゆみ

1979年 発足

1983年 都の動物愛護センター開所に抗議

初めて人の手を経ない完全オートメーションで殺処分し、最大処理数1日720頭の大規模処分場が完成した。自然と動物を考える市民会議は、愛護の面が殆ど無いことに激しく抗議した。

1983年8月 藤枝市のドッグポストに抗議

これは公営の犬捨ての施設であり、動物愛護の考えに反するものとして静岡県に抗議。

1984年 マガジンハウス猫100匹プレゼントに抗議

新雑誌創刊記念の動物プレゼントに対し、「捨猫防止会」と「自然と動物を考える市民会議」が協力して抗議、企画は中止された。

1986年11月 仁木悦子代表が急逝

後任を八鍬真佐子事務局長が引き継ぎました。

1990年11月 雲仙普賢岳が噴火

市民会議は全国に呼びかけ、被災動物救護の義援金を募り100万円募金しました。

1992年4月 「保護法に向けて」セミナー開催

1993年 茨城県で馬を連続して餓死させた事件を告発

市民会議は他団体と協力して事件を告発、遂に犯罪として立件されました。判決では罰金は僅か2万円でした。

1994年4月 動物保護法改正運動を開始

市民会議が全国に呼びかけて「動物保護法改正を目指す市民の会」がスタート、全国で署名運動を展開、マスコミにも広く訴えました。

1995年1月 阪神淡路大震災が発生

市民会議は4度出動して被災動物救護に協力しました。募金を全国に募り、義援金を各被災地の動物シェルターに届けました。

同年9月 銀座アートプラザで被災動物救援写真展を開催

1996年2月 同写真展を大阪朝日新聞社ホールで開催

同年10月 総選挙

各党に「動物保護法の改正について」のアンケートをしたことは、翌年の法律改正の際の大きなきっかけになりました。

1997年3月 八鍬真佐子代表が死去

八鍬代表は動物虐待が人間の犯罪であると訴え続けました。運営委員の塩坪三明が代表を引き継ぎました。

1997年10月 保護法~愛護法へ、連絡会を結成して改正始まる

酒鬼薔薇事件をきっかけに政治家が「動物虐待をなくさない限り凶悪犯罪が増える」事に気が付き動物保護法の改正を決意。市民会議も他団体と共に全国愛護団体へ呼びかけて「動物の法律を考える連絡会」を10月に結成。
市民会議は事務局として作業を支えました。署名は全国から次々に寄せられ、80万名分近くなり、国会議員の賛同者も250名と全議員の1/3を越えました。

1999年 動物愛護管理法が成立

法律成立をきっかけに「動物の法律を考える連絡会」は「動物との共生を考える連絡会」になりました

2001年 長野県高遠で乗馬クラブの馬2頭が飢餓状態で発見

市民会議は現地を調査し、栄養失調の馬2頭と死体2頭を確認し、牧場経営者を「動物との共生を考える連絡会」が動物愛護管理法の虐待罪で伊那警察署へ告発しました。

2003年 伊那家裁で虐待罪の判決

2001年の乗馬クラブ馬虐待の裁判で、罰金15万円の判決。衰弱させる虐待の最初の判例になりました。

2003年 市民会議が特定非営利活動(NPO)法人に認定される

2004年 動物虐待と人間の暴力との関係セミナー開催

「動物との共生を考える連絡会」幹事団体として、米国最大の動物愛護団体:HSUSからランダル・ロックウッド博士を招致し、動物虐待と人間の暴力との関係」セミナーを開催。

2004年10月 中越地震発生

全国自治体に対して、災害時のペット対策が「地域防災計画」に盛り込んであるかどうかのアンケート調査を実施しました。

ペット対策盛り込み済み(2005年当時)
各県    → 32%
指定都市 → 54%
中核都市 → 26%
都23区   → 56%

日経新聞でこの結果を発表後、各地でペット対策が急速に進み、2年後には全国でほぼ揃う情勢になりました。

2005年6月 見直し動物愛護管理法が成立

2006年 代表の塩坪三明が環境大臣表彰を受賞

2007年 塩坪三明「メキシコの遺跡と動物写真展」開催

2008年・2010年 八鍬真佐子「懐かしのねこ展」開催

2010年 動物愛護管理法の新たな見直し開始

自然と動物を考える市民会議は連絡会を通じ、虐待の事例の明文化、5つの自由に基づいた愛護動物取り扱いの基本指針の改正、動物取扱業のより厳しい販売法、繁殖の規制などを訴えた。

2010年10月  自然と動物を考える市民会議31周年記念会開催